正当な評価を求めよう!
         
  介護現場   前章であげた「介護の軽視」や「介護への抵抗感」は、個人の問題だけではない。
介護保険制度を立案し施行した政府や官僚は、「舅の介護は嫁の義務」的な発想にとどまっているような気がしてならない。
その至近な例が、インドネシアやフィリピンからの介護職への受け入れではないだろうか。決して頭ごなしに受け入れそのものを拒んでいるわけではない。様々な問題があるが、現状を考えると「窮余の一策」という気がしてならない。
 
         
正当な評価こそ政治が成すべきことのひとつ
しかし、疑問点が残るのがその条件である。3年間後に介護福祉士の資格を取得しなければ、問答無用で帰国になるのだ。しかも試験は日本語でチャンスは1回限りという。日本語の不自由がない日本人でさえ、合格率は50%程度という資格試験である。いくら「無原則な流入を防ぐ」と理屈をつけたとしても、「使い捨て」という印象は拭えない。

それと似ているのが、最近よく聞く「マッチング」である。決してマッチングの考え方を否定するわけではないが、こと介護に関しては「とにかく就労さえさせてしまえば」という匂いがしてくる。

介護福祉の仕事
 
高齢者介護の仕事風景 以前に述べた「賃金は平均月2万円増える」という楽観的すぎる見込みもそうだ。それよりも「介護は人のためになる仕事」として「対人関係」に適正を求めるのは、あまりにも短絡的でその場しのぎである。
まるで「人のためになるのは良いこと」だから自覚を持って、「人間関係をうまくできれば」仕事にもなじめる・・・。そうとしか聞こえない。

そのまま「適正あり」となり現場に行ったとしよう。当たりちらすお年寄りに対面した途端、「人のために」も「人間関係をうまく」も吹き飛び、最悪の場合「辞めさせて下さい」になってしまう。
攻撃的になったり当たりちらすのは、個人の問題ではない。「老い」とは、そういうものなのだ。 だから「介護現場」では、それらへの対応も含め、研修や実践を積み重ねたプロ集団で成り立っている。

それを忘れて「マッチング」といっても、一時しのぎでしかない。「介護現場」を雇用の切り札にするには、「お年寄りが安心して暮らす」ためのプロとして、介護にかかわる方々を評価し、利用者の負担にならない形で「評価を待遇に反映」することこそ、大きな課題である。
歩行訓練、食事介助、排泄介助など
 

誰にでも訪れる「老い」にもかかわらず、お年寄りを取りまく環境は厳しい。介護保険準備基金ではないが「年寄りに金を使うな」まで来ているような錯覚さえ覚える。頼りになるが不安の多い年金で、10%の自己負担に悩むお年寄りが大半である。「お年寄りが安心して暮らす」ためのプロとして正当に評価し育成することは、雇用対策だけでなく、超高齢社会を迎える日本には緊急の課題のひとつだろう。

「秘書の逮捕だ」「定額給付金だ」「いや解散だ」と騒ぐよりも、政治が成すべきことは多い。
そのひとつがここにある。

介護風景
 
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